フジテレビ騒動の歴史

フジテレビ騒動が高岡発言に集約されているようだが、彼の発言は、元々あった油に火を注いでくれただけだ、という認識が必要である。従って、高岡さんが今後どのような発言をされたとしても、例えばこの騒動を止めようとする意見を言ったとしても、過敏に反応してはいけない。彼にも生活があるのだから。

余談はさておき、本日、2011年8月21日フジテレビへデモい行く若い方々には、今から語る事に是非留意して貰いたいフジテレビ騒動に至る歴史がある。

そもそもの騒動の発端は、2002年。日韓ワールドカップが開催された時のことだ。それ以前は、小林よしのり「新・ゴーマニズム宣言」等が人気を博した事もあり、多少のメディア批判はあった。この、従軍慰安婦南京大虐殺など、過去の歴史についての報道姿勢への批判について、メディアは今と同じく黙殺に近い事をした(だが、、この時はテレビで従軍慰安婦の検証をしていた時もあったから、今よりもずいぶんマシ)のだが、少なくとも現実世界において、韓国と無理やり仲良くしようとか、無理やり韓流をはやらせようなんて、雰囲気はまったく彼らにはなかった(無論、在日については別)。今で例えると、韓国は中国のような扱いだったのである。たまにうるさいけど、よく知らないから放っておこう+たまに批判的な感じだ(これも、大問題には間違いないが)。

だが、2002年日韓ワールドカップの共催が決まってから、メディアの反応が日を追うごとに変わっていった。初めのうちは、無理やり友好的なムードを煽ろうとはしてはいたが、一応日本の試合結果によって、韓国が一喜一憂(悪い意味で)していたのが、おもしろおかしく報道されていた。だが、日本の敗退が決まった後の韓国×イタリア戦から、報道が極端におかしくなったのだ。その前のポルトガル戦も、ポルトガルが二人退場を出すというかなりスキャンダラスな試合内容だったが、まだパク・チソン(人格者+天才的汗かきプレイヤーの彼がいなかったら、韓国がここまで調子に乗る事はなかったのは間違いない)のスーパーゴールがあった事もあり、韓国を褒め称えるのも馬鹿な隣国に花を持たせるためとしてはありかもしれない(私としてはまったくありではないが)。だが、イタリア戦は違う。暴力行為、意味不明なオフサイドトッティの退場。詳しくは書かないが、すべてがありえなかった。これを非難しないサッカー関係者は世界にほぼいないし、報道しないメディアは世界にほぼなかった。だが、日本のメディアだけは……緘口令でもしかれたかのように、韓国を褒め称えたのである。一般人も、これにはおかしいと感じた者は多く、普段サッカーやメディアの在り方についてよく知らない女の子たちも、口ぐちにおかしいと私に言ってきたのをよく覚えている。だが、日本のメディアを擁護するわけではないが、世界のメディアの中でも、韓国を擁護する発言をしたメディアも少ないがある事にはあった。大半は、イタリアの旧泰然としたサッカーへの批判だった。確かに、韓国戦以前のイタリアがしたサッカーは、褒められたものではなかったからだろう。ここまでだったら、一大事件で済んだのだ。しかし、韓国はまたやってしまったのである。そう、あのスペイン戦……もう、書くのが嫌になったので、あえて記載はしないが、とにかく韓国はこのワールドカップを通して、前代未聞の事件を起こしたのだ。だが、これについて日本のメディアは批判をフル無視、どころか褒め称える。いや、それどころか、批判した飯島愛をその後完全に干す、無言の抗議で韓国×ドイツのドイツ代表のユニフォームを着た明石屋さんまに謝罪をさせる等、まあやりたい放題やってくれたわけだ。

その後、たたみかけるように来たのが、2004年付近の冬ソナブーム。こんなものは、58万人いる在日韓国人とその仲間たちに動員をかければ、ある程度流行ったように見せかけられるわけだが、NHK電通が自分の子会社に儲けさせるために始め、それを民放各局が協力するというとんでもない構図が出来上がったのが、この時だった。

次に来たのは、フィギュア・スケートのキム・ヨナ。これはフジテレビの独壇場になる。フィギュア・スケートにおけるキム・ヨナよりの採点方法を一切批判しない。こんな基準の採点であれば、フィギュア・スケートなんて五輪から外すべきだ、という報道があってもいいくらいなのだが、それもしない。キム・ヨナを不用意に褒め称え、浅田真央ちゃんを不用意に貶める。しかも、主婦しか観ていない時間帯を狙って。

今度は、東北地方太平洋沖地震だ。全放送局が、「ただちに健康に影響はない」・「セシウムプルトニウムは(あげた)基準値さえクリアすれば安全だ」等の政府発表を一切批判せず、民主党の国民ミス・リーディングに加担したのだ。いかに東電に懐を握られているとはいえ、人としてやってはいけない行為を平気でやってのけるとは、鬼畜の所業と言っても過言ではない。そして、数ヵ月後、東電の力が衰えを見せ始めると、途端に批判に力を入れ始めるという、見事なまでのダブル・スタンダードを地でいってくれる。本当に、人として恥ずかしくないのか、とう痛切に私は思う。

そして、日本国民が地震で疲弊したタイミングを見計らって、フジテレビが韓流ブームを仕掛けたのである。旧ソ連が捕虜の日本兵に行った洗脳は、疲れ果てるまで謝罪させ、そこに繰り返し共産主義がいかに素晴らしいかを摺り込む、というものだったらしい。フジテレビがやった事をみれば、これと同じである事は明白だ。自身で心を疲弊させた東北〜関東の人間に、韓流ドラマを繰り返し見せつけて、いかに素晴らしいかを他の番組上で芸人に語らせる。まさしく洗脳以外のなにものでもない。まともな大人なら拒否反応を示すが、スイーツな女どもと無垢な子供たちはどうだろうか。

このような一連の経緯があった後に、高岡発言があったのだ。彼の意見はもっともで正論だが、彼を発端とした騒動とする意見にはまったく賛成できない(高岡騒動と定義する識者が異常に多い)。この一連の経緯がなければ、チャンネル桜在特会デトックスジャパンもここまで注目される事はなかったはずで、高岡さんがこのような発言をする事もなかったはずだ。これらを認識して本日のデモに参加しよう。

さらに余談:
フジテレビにとって、彼の発言があった時点では特に危機感を覚える事はおそらくなかったはずだ。今のように無視していればよいし、場合によっては彼をその後も使って、熱がさめてから、干すという選択肢もあったはずだ。だが、誤算が生まれてしまうのである。スターダストプロモーションが彼を首にしてしまった事だ。フジテレビが彼を首にするように仕向けたということは、おそらくない。デメリットが多すぎるのだ。これだけの事をやってきたのだから、今ここで彼が事務所からリリースされると、フジテレビ自身が指し向けたとされるに違いない。それにもまして、チャンネル桜在特会デトックスジャパンだけでなく、フジテレビを快く思っていない2ちゃんねらー+一般人に攻撃する口実を与えてしまう事になるのだ。騒ぎになって損をするのは、分散していたテレビ局批判が一局に集約されるフジテレビだけ。まさしく、デメリットしかない。国民に洗脳工作を仕掛けているフジテレビには、それがすぐにわかったはずだ。